2006 07/10 更新分

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 四日市再生まちづくり市民講座開く

◆JEC研究者、四日市環境再生「市民講座」でこもごも提案◆

淡路さん:いまのうちに散在資料を一点に集中を
佐無田さん:埋立中止し、福祉型まちづくりで再生を
寺西さん:地元市民の積極参加が成否のカギ握る
「環境再生」をキーワードに、四日市の将来のまちづくりプランの作成に04年7月から取り組み始めた四日市環境再生まちづくり検討委員会が5回目の「まちづくり市民講座」を06年5月20日午後1時30分から、四日市市の本町プラザ1階ホールで開催しました。
 
この日の市民講座は検討委事務局の山下英俊さん(一橋大学講師)の司会で進められ、初めに「環境再生とサスティナブルな社会をめざして―『地球再生の環境学』 刊行を受けて」と題し、JECの環境再生政策研究会の15人のメンバーが執筆した『地球再生の環境学』が刊行されたのにともない、同書の監修を務めたJEC理事長の淡路剛久さんが基調講演を行ないました。
そして、「環境再生と地域経済の再生」の章を共同執筆した金沢大学助教授の佐無田光さんが「環境再生と地域経済の再生に向けて」と題する報告を行い、最後に編者の一人であるJEC事務局長の寺西俊一さんが「環境再生を通じた地域再生の課題と展望」と題する報告を行なった後、フロアから質問・意見が出され、午後5時閉会しました。
写真:地元四日市の参加者に加え、東京・大阪などからも集まった
=写真はいずれも06年5月20日、四日市・本町会館で
3人の講師の講演・報告要旨は次の通りです

【基調講演】 淡路剛久(JEC理事長/立教大学院教授)
「環境再生とサスティナブルな社会をめざして」
―『地域再生と環境学』の刊行を受けて―
きょうお集まりのみなさんはもとより、より多くの方々に手に取り、目を通していただきたいという願いを込めて、このたび刊行された『地域再生の環境学』が誕生するまでの概略を初めにご紹介しておきたいと思います。
 
「序文」にも記しましたが、「環境再生」の研究は2000年に研究課題として取り上げられて以来続けられ、02年10月から04年9月まではニッセイ財団の研究助成をいただいた成果として、メンバー15人によって『地域再生の環境学』としてまとめられたものです。本書の目的を一言で表わせば「環境再生を通じて地域再生をはかり、サスティナブルな社会の実現をめざそう」というもので、この「環境再生を通じた地域再生」という課題の立て方に特色があります。
 
思い起こしますと、「環境再生」ということを論じる意義について疑問視する研究者は少なからずいましたし、「環境再生」という言葉を使うことに抵抗感を覚える人も少なくありませんでした。90年代以降、地球環境問題を論じることがよく言えば環境政策の最重要課題だとされ、逆に悪く言えば地球環境問題を論じることは“はやりのテーマ”でした。一種の危うさを感じるというのがその理由でした。たとえば、水俣病の被害者とか大気汚染の被害者たちが21世紀に入ってもなお保護されていないという現状の中で環境再生という言葉で環境政策を進めていくということは「公害」というものが置き去りにされていくのではないかというのがその人たちの指摘でした。
 
とりわけ、「公害」と「環境再生」の関係については、環境再生の例として、自然の再生であったり、土地環境であったりしたため、環境再生とは公害を克服した次の段階の課題だと考えられる余地もなかったわけではありません。そういった視点からはある意味の危うさを感じたのも一定理解できます。
しかし、研究を進めてみますと、私自身の場合も環境再生ともっとも遠いところにあると考えます公害の被害と環境再生という目標との間の深い政策課題の関係が感じられるようになる。そこに大きな問題があるということが分かってきました。それは正に水俣病事件でした。
 
とりわけ水俣病事件の第一次訴訟においてです。公害を引き起こした原因企業の過失責任が認められ、健康被害についての賠償が認められるという結果が出たわけですが、実際、その賠償というものは、いわゆる包括的な損害賠償方式なのですが、結局、裁判において認められた損害賠償というのは被害者個人の身体的損害、精神的損害に対する賠償に止まっているわけです。被害者を取り巻く家族、近隣、地域社会とかの面的広がりの中で公害というものが、環境破壊というものがどのような被害を引き起こしているかということは視野に入ってこないわけです。そこを初めて被害者の権利救済の課題として、それを阻止しようということを言い出したのが水俣病の訴訟であったわけです。
一方、そこを被害者の運動ということでやり始めたのが大気汚染の被害者の運動ということだったわけです。水俣病訴訟では地域、家族、コミニティなどに行き着く前に個人的権利、個人的被害の賠償すら十分に行なわれていない、被害者の完全救済が行なわれていないということがこの50年の歴史の中で出てきているわけです。その点を強調し、書かれたのが原田正純さんの第1章(「水俣がかかえる再生の困難性」)です。
 
そういうことを踏まえつつ、環境被害を真に救済するために環境再生が必要な計画目標だという主張もまた正しいわけです。その一歩を踏み出したのが先ほど申し上げた大気汚染の運動です。西淀川訴訟での勝訴は環境再生の運動の始まりと言ってよいと思いますし、公害被害者の真の救済運動で起こった環境再生の動きと言ってよいのではないでしょうか。
 
環境再生の運動は環境政策の課題として、被害者の完全救済というところから出発していますが、しかし、本質的に重要な課題を提起していると、我々は考えるに至ったわけです。 それは何か? 次のような課題を提示していると考えられます。
 
本来の環境再生の課題というものが国際的レベルはもちろんのこと、国内の行政レベルでも、地域の市民運動・住民運動のレベルでもサスティナブルな社会を構築する、あるいは現在の社会をサスティナブルな、持続可能な社会に変えていくということ。これがきわめて重要な政策目標であるといことではみなさんの異論はないと思っています。
しかし、実際の我が国の公害・環境問題、それを引き起こした経済政策はサスティナブルでないやり方でやってきたという点でもおそらく異論はないでしょう。
 
19050〜60年頃に蓄積された公害と生活環境の悪化というものが1960年以降、一挙に公害・環境破壊として現われました。自然環境の破壊が進行しました。都市部や都市部の自然との接点である自然アメニティ、都市の中でのアメニティの悪化が進んだわけです。
90年代以降、地球環境の破壊がいよいよ危機的な状況になってきたわけで、このように拡大してきた公害、環境問題に対して、これまでの公害環境政策というものは第一の環境政策として、環境への負担、負荷をどう減らしていくかという公害防止とか環境負荷の低減ということが展開されています。そして、80年代の後半頃から、いわゆる廃棄物問題が処分場が不足してくるということを背景にリサイクル、循環政策ということで循環型社会を建設しようと第2の環境政策がインプットされました。
 
しかし、我々は被害者の運動から起こった環境再生の主張というものを環境政策の面から実例を見、各論的な領域の調査をし、現実に運動として生活として進んでいるものを分析する中から環境への負荷、環境への負担を引き下げるということと、循環型社会に加え第3の環境政策として環境再生、つまり破壊された環境被害のストックを直視し、環境回復と再生を図り、環境再生というものに取り組まなければならないと主張するに至ったのです。
写真:『地域再生の環境学』はより多くの人たちに読んで欲しいと訴えた淡路さん
 
ではなぜ、そのような視点が必要か? ということですが、この本の「序章」に書いてあるように、結論を一言で言うならば現実の日本社会というのは環境負荷の低減と、循環型社会の形成というフローの環境政策だけで持続可能な社会に転換するということはできないということです。
 
それはなぜか? 公害被害を含めて過去から現在に引き渡され、そのままでいけばまたぞろ次の世代、その次の世代へ引き渡していくことになるであろう、過去の膨大な環境破壊、環境被害のストックを生み出しているわけです。それを負荷を軽減させて循環させると言ったって結局、ストックとして残されていくんじゃないか、ということなんです。
 
財政赤字だけが次の世代に残されていくわけではありません。こういう環境被害、環境破壊を我々は少なくしなければいけない。そこに我々は目を向けて、そのストックに対する政策というものを展開する必要がある―これが環境再生の主張です。
 
『地域再生の環境学』では、こういった環境被害とストックというものを正に公害問題、公害被害者の問題として取り上げた部分が除本理史さんらによって執筆されています(2章「公害からの回復とコミュニティティの再生」)。
 
また、自然と農村環境の破壊ストックというものを磯崎博司さんが多くの事例を上げながら書かれています(3章「自然および農村環境の再生」)。
 
さらに、西村幸夫さんが分かりやすく都市環境の再生について書いてくれています(5章「都市環境の再生」)。
写真:60人あまりの人たちが講演に聞き入った
 
以上は本書の一部のご紹介に過ぎませんが、当然のことながら、「総論」と「各論」が書かれています。しかし、近い将来、この総論と各論はおそらくは一つになるであろうと考えます。それは、21世紀の早い時期に地球温暖化とか、化石エネルギー資源、天然資源が減少する状況が出てきましょう。それは意外と早い時期にやってくる。そういう蓋然性が高いように思われます。ところが、変革というのは一朝にしてできるものではありません。
 
振り返って考えてみれば、日本が土地と金融のバブルで浮かれていた1980年代の後半、アメリカは不況で苦しんでいました。しかし、この時代に実はIT産業の次の産業というものが10年かけて準備されていたという指摘があります。つまり、変革というのは既存の体制の中で準備されていたものが条件の変化によって一挙に噴出し、構造自体を変えていくという形をとるわけです。
 
今後予想されるのはエネルギーを中心とした転換が図られましょう。例えば、EUの主要諸国では再生エネルギーへの転換の政策というものが重視されてきました。ごく最近、一部で原子力エネルギーへの回復、政策転換という動きが見られますが、太陽とか風力とかの自然エネルギーへの転換は環境政策のメインストリームになっていると思われます。
本書では、そこまでは本格的、論理的に触れてはいませんが、地球環境を含めた自然の循環への人間活動の統合ということが実はこの本書をまとめた以降の環境再生の中期的課題だということになるわけです。そういうことがサスティナブルな社会への転換の骨格だと考えられます。
 
しかし、それは決して過去への回帰ではありません。ただ、自然との共存というのは人類の長い歴史のほとんどを占めてきたわけでして、回復不可能な形で収奪をしはじめたというのは200年前に過ぎないわけです。いま正しい姿勢、的確な競争条件が与えられたとするならば、おそらく現在社会を動かすもっとも重要なファクターである企業、企業活動やその活動を行政的に動かすことになる政府などが自らを自然の循環に競合させる方向に向かう希望をもたなければならなくなるであろうということです。
 
課題となるのは、そのような変換をもたらす政策の内容です。私たちは、本書を出すにあたって環境再生に関わる国家レベルの環境政策として環境基本法とか環境基本計画の中に環境再生態勢の理念と課題、政策の実施スタイルの方法、予算と財政など主要な政策項目を明記して、それに対しどのように具体的に対応するかが重要だと考えています。
 
環境再生の目標が地域環境のレベルから地球環境のレベルに至るまで具体的な政策目標として、環境政策として導入され、人間の経済社会活動というものが自然の循環を基本とした新たな経済モデルとして、そこに統合されるということになりますと、サスティナブルな社会というものが我々の前により明確に現われてくるということが言えるでしょう。
 
先ほど回帰ではない、と申し上げましたのはなぜかと言いますと、例えばイタリアで14〜16世紀にかけて彷彿として起こったルネッサンスです。よくギリシャ、ローマへの復帰だ、文芸復興だと言われましたが、そうではないわけです。あのルネッサンスが起こった背景には科学技術の次のステップの発展というものがあり、それが神の終生的な支配を退けて人間の精神を解放するというところになったわけです。現実そのものを直視するということをやったわけです。
 
そのことを、我々の今の社会において考えた場合、自然への循環の中に人間の社会経済活動を融合させるための技術、科学技術というものは実は着々と滅びつつあるのではないかということです。例えば、環境再生のモデルとしてよく引き合いに出される、基地の跡地を転換利用し、自然エネルギーを用いて住民空間から自動車を排除したドイツ、フライブルグのヴォバーン地区の例は環境再生の未来モデルであるわけです。新たな技術というものを利用しつつ、確かな自然を取り戻すという産業的な変革、そこに人間の精神が加わったときに文化的な変革というものが現われてくるわけで、それこそ新たな環境ルネッサンスというものを見ることができると考えています。
 
問題は、そういう制度的な仕組みを社会の中に作り出していない我が国の現状にあります。それをどう新しい政策転換の中に導いていくかということが次の我々の重要な課題です。そういうことを踏まえて、最後に「四日市」について私なりの意見を申し上げたいと思います。
 
言うまでもなく、現代の社会を動かす三つの要素は「企業」であり、「政府」であり、「市民・NGO」です。四日市において、それらを当てはめると、「企業」は有力な当事者として存在してきました。そこをどう動かすかということは大変難しい問題です。
 
次に政府。国だけでなく県、市を含めて、これらがどこまで新しい変革の準備を作っていけるかということもこれまた難しい課題であろうと思います。
 
そして「市民、NGO、NPO」ですが、我々が当面何かできるとすれば、これであるわけです。先日、西淀川のあおぞら財団が新しい公害・環境資料館「エコ・ミューズ」をオープンさせました。蓄積した資料を整理し、広く公開しようという画期的な試みです。  

環境再生というものは、実は市民たちの運動が現場の環境ストック、環境破壊の過去からのストックから出発するとするならば、これまでの経過や状況が資料として、情報としてしっかり見れるような仕組みを作ることが重要だろうと思います。当地においては澤井余志郎さんが努力されていますが、これをさらに環境再生という利点から、より充実した資料センターに発展させることをいまやっていただきたいと切望します。関係者はそれぞれ資料を持っているわけですが、分散的に持っているわけです。やがて時間の経過とともに散逸する運命にあります。誰かがこれを整理して1箇所に集め、情報公開してくれれば提供したいという方がたくさんおられると思います。四日市においてもそういう動きが必要ではないでしょうか―ということを最後に申し上げたいと思います。    

【報告 1】 佐無田 光 (金沢大学助教授・政策研究会)
「環境再生と地域経済の再生に向けて」

【報告 2】 寺西俊一 (JEC事務局長/一橋大学大学院教授)
「環境再生を通じた地域再生」がめざしていること
―四日市環境再生まちづくりへの今後の提言に向けて―

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