2007 11/09 更新分

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 【四日市環境再生まちづくりプラン】まとまる <下>

午後の目玉プログラムは西淀川、水島、名古屋で、それぞれの再生プロジェクトにすでに取り組んでいる人たちからの現地報告と、『提言』に対する感想などが述べられる【パネル討論】が山田明さん(名古屋大学)の司会で進められました。フロアからも活発な意見や質問が出されました。現役学生からの質問をきっかけに寺西俊一事務局長から地元四日市への強いリクエストが出されフロアは盛り上がりました。そして、≪アピール≫を全員の拍手で採択した後、淡路剛久理事長から「まとめと閉会あいさつ」が行われ、「提言の集い」の全プログラムを終了しました。以下はその概要です。
写真:山田さん(右手前)の司会で3人の若手パネリストが初々しい報告をしてくれた
【文責:司 加人/写真:山下英俊】

【パネル討論 1】  藤江 徹 (大阪市西淀川/あおぞら財団)

日常の活動の中で『提言』の実行目指すのが堅実な手法では?

大阪の西淀川区からきました「公害再生センター」―通称「あおぞら財団」の藤江です。
自己紹介と『提言』を読んでの意見を求められましたのでお話しします。
四日市公害判決35周年ということですが、私も今年35歳です。生まれたときにあった出来事として、聞いていました。

まず、「あおぞら財団」についてご説明します。
あおぞら財団は大阪の西淀川区、兵庫県との県境になりますが、そこで78年に提訴された大阪西淀川大気汚染公害裁判で、工場からの排煙と国道43号線を通る車からの排気ガスが主な原因であった大気汚染裁判の和解金で出来た財団です。96年の9月に出来まして、去年で10年を迎えました。なにをするところかと申しますと、通称の通り原告の被害者の人たちが子供たちに青い空を手渡したい、そのために地域の環境再生を進め、何かを残したいということで設立され、それに関することをいろいろとやっています。
一つは、公害のないまちづくりです。地域をもう一度見直して、悪いところを改善する。また、交通問題があるところですので、環境をよくするために提言をつくったり、エコドライブということでトラックの事業者さんと一緒に、環境にやさしいい運転をドライバーさんに呼びかけたり、手近なところからいこうということで町の自転車マップをつくるとか、その他イベントなどにも参加して、出来ることを模索しながらいろいろなことをやっています。
写真:『提言』を誰が、どういう風に実行に移すかが最大の課題と経験談を語る藤江さん

公害の経験を伝えることにも力を入れています。患者さんたちに学校や図書館などで子供たちに伝える場で、こういうことがあったとかを伝えたりしています。昨年は、「西淀川環境資料館」をつくりました。公害があったことをしっかり次の世代に伝えたいという思いから、その当時の資料や裁判の資料など、出来るだけ残していきたいという思いからつくりました。そのほか公害に限らず、いろいろな地域のことを残していこうとしています。

そして、「自然や環境について学ぶ」ということで、環境学習をやったりもしています。子供たちとカプセルを街中に配置して大気汚染の測定をしたり、鳥の観察、せみの抜け殻調査、自然観察を一緒にやったりして、自然の大切さや環境を見る力を養ったりしています。
それでもなかなか、公害の話しが子供たちに伝わらない問題があります。現に、私は大阪生まれですが、四日市の喘息のことは学校で習いましたが、大阪の西淀川のことは勉強してません。同じようなことが今の子供たちにもあって、それをどうやって子供たちに伝えようかというなかで、西淀川の公害の歴史の教材を作ったりしています。そのときに、ただ公害と言うのではなく、みんなが買い物に行くときにどういう行動をしているかとか、買い物ができるまでの物の流れをフードマイレージで示して、具体的に教材にしたりしています。

公害患者の生きがいづくりとしては、先ほど除本さんのお話にもありましたように、患者さんの数は大阪市内で8800人、区内で1200人前後いらっしゃいます。こうした方々が高齢化するなかで、ゆっくり出来る場所を作ろうと、「あおぞら苑」というデイケア施設をつくっています。これは患者さんだけではなく、地域の方々もこられて周辺の地域の施設として使われています。
それと、日々を楽に過ごしてもらうよう呼吸器リハビリのような、通院しながらよりよい治療を自分でつくっていけるような調査などもしています。

“みんなとつながる”ということで国際交流もあります。公害の経験を伝えるために、たとえば韓国から司法修習生が視察にきて、こういう風にしてきましたよというようなことを伝えたりしています。

以上が私たちが日々やっていることですが、次に『提言』を受けて思うのは、こういうことを目指してやるという意気込み、アイディアがすごいと思いました。ただ、これを誰が、どうやって実行するんだということで、私たちも勉強させていただきたいと思いますが、苦労、苦心しています。

やはり、北島さんが冒頭で言われた地域の伝統行事を復活させるとか、地域自治のようなものをつくっていくことが大事ではないかなと、常日頃やるなかでいつも感じています。それとあわせて、産業構造の変化とか都市と農村の共生のような広い視点から見て同時に進められればいいなと思いますが、なかなかうまいこといかないなあというのが実感です。きょうもお話を聞く中で、一緒にやっていけることがあればいいなと思いました。

最後に宣伝ですが、私ども最近、交通問題についてどうしていったらいいかの「提言集」をつくりました。ご覧いただけたらと思います。
※「あおぞら財団」ホームページ  http://www.aozora.or.jp/

【パネル討論 2】  難波田隆雄 (倉敷市/みずしま財団)

『提言』の実行に欠かせないコーディネーターの存在

財団法人「水島地域環境再生財団」、通称「みずしま財団」で研究員をしております、難波田です。
「みずしま財団」には私を含めまして4名の研究員がいます。だいたい同年代なんですけど、本日は一番若い私がパネリストとして参加させていただいております。このような記念すべき集いにお招きいただきましてありがとうございます。

水島の取り組みと、四日市で作成された政策提言書についてお話させていただきたいと思います。

まず、水島地区の環境再生ならびにまちづくりについてお話します。お配りしている水島財団のパンフレットを参照しながら説明させていただきます。これをご覧いただけば「水島」のことはすぐお分かりいただけます。
写真:みずしま財団のインデックス形式のおしゃれなパンフレット

まず「水島ってどんなところ?」です。
ここには地図で水島の場所が示されてあります。岡山県の県南、倉敷市に水島地域はあります。その下の写真は、水島がかつて農漁村地帯であったことがわかると思います。右のページには、大規模コンビナート開発が行われたことがわかると思いますが、自然環境豊かな農漁村に外から大規模なコンビナートが来た、大規模な工場を誘致したという点では四日市と共通しているのではないかということを強調しておきたいと思います。

そして、四日市と同様に大気汚染公害が起こり、そして裁判があり勝訴して、1996年に和解が成立し、和解金の一部を基金にしまして、水島地域の公害地域の環境再生まちづくりを進めていく上での拠点として「みずしま財団」が2000年に設立されました―というヒストリーを簡潔にまとめています。

次に活動内容―「こんなことをしています」です。
大きく4つの柱にわかれています。
<調べる> 現状把握をするための調査をしています。
<学ぶ> 市民のみなさんと公害や環境、まちづくりについて学ぶ機会や場を提供しています。
<残す・伝える・支える> 公害経験を継承していくとともに、公害被害者についてもケアをしていくということで、療養支援なども行っています。
<作る> まちづくりのコーディネーターを担おうということで、人と人とのつながり、人と組織のつながりなどをつくっていこうという活動をしています。
写真:経験上、この『提言』をいかに多方面に伝えるかが肝要と語る難波田さん

つづきまして、四日市環境再生まちづくりプランの『政策提言書』についてコメントさせていただきます。
この『提言』をいただいて、「みずしま財団」の関係者でいろいろ議論しました。その中でのいくつか出された意見を紹介します。
一つは農業・漁業・林業などの一次産業などの視点が弱いのではないか、という意見が出ました。また、医療従事者からは公害被害者の実態についてまとめているところがありましたが、おおむね方向はいいのですが、一部、これまで自分が研究した結果から言えば、少し補足が必要なところがあるということでした。医学的な調査、医学的なデータによって補足すればよりよくなるのではないかという指摘です。これは水島で公害病死亡患者の遡及調査を行ったんですが、そういうデータなどで補足していくと実態がよりクリアになるのではないかという意見もありましたことを報告させていただきます。

ほかにもいろいろ意見が出たのですが、いちばん強調したいのは、この政策提言報告書をいかに広げていくかということだと思います。具体的な政策提言が入っていて我々も大いに参考にさせていただこうと思っているのですが、環境再生やまちづくりの実践において、活用しなければもったいないと思っています。
そこで、水島ではどのように広げているかをご紹介します。

一つは「みずしま財団」が設立される前に、企業と公害患者さんが和解する前に一つのマップを作りました。まちづくり再生のマップです。再生イメージを地図上にプロットしているものです。まちづくりを進めていく上で内部で再生のイメージを共通認識するとともに、外部にもわかりやすくするための工夫です。再生マップは夢のあるもので、議論が活発になるものだと思います。
こういうものが、財団設立前にはつくられていました。設立後は、「みずしま財団」には“広報3部作”というものがあります。一つは、水島地域の再生のためにと題した「現状と課題」です。これは報告書なのですが、水島地域の現状と課題を分析して、そこから将来展望を描いたものです。これは今回の四日市の『提言』に近いものです。これをどう活用しているかというと、行政との対話ツールとしての役割を持っています。

現在、倉敷市ではまちづくりの計画を策定していますが、それらと「みずしま財団」の考える将来展望を突き合わせるかっこうで行政と意見交換会などもしています。ただ、これが文章ばかりで市民の人たちにはとっつきにくい面がありますので、水島のまちづくり懇談会を開催して、それぞれのテーマごとに難しい内容をわかりやすく噛み砕いて市民の皆さんとも一緒に水島のまちづくりを考えています。

二つ目はパンフレットです。これは市民のみなさんに、「みずしま財団」はどういう団体で、なにをしているのかを分っていただくためのものです。その中に「こんな水島になったらいいな」というページがあります。これは先ほどの現状と課題から導かれた将来展望をイラストで描いています。分りやすく提案しています。内部の再生イメージを共通イメージとして分かりやすく共有するというメリットと、外部の方にもかかわっていただけるのではないかなと思っています。次のページには「いっしょにしませんか?」ということで、さまざまな形での参加を呼びかけています。

三つ目は「写真集水島」ということでビジュアル面から写真集で水島の再生イメージを伝えていこうとしています。

水島ではこういうやり方ですが、今回の四日市の『提言』が非常にいいものなので、とにかく分りやすく、多方面に伝わればいいなと思います。四日市のやり方で広めていっていただきたいと思っておりますが、やはりそのためのコーディネーターが必要で、「四日市まちづくり市民会議」がコーディネーター役を担ってほしいと期待するとともにエールを送りたいと思います。
※「みずしま財団」ホームページ  http://www.mizushima-f.or.jp/

【パネル討論 3】  中井 誠 (名古屋南部地域再生センター)

地元学生と連携して動くのも一石二鳥の効果

(詳しくは画像をクリック)
「NPO法人名古屋南部地域再生センター」、通称「名古屋あおぞらセンター」で事務局長をしている中井誠と申します。

お配りした資料は「あおぞらだより」「愛知県にひろがる菜の花エコプロジェクト」「ちょいエコ市民になってみや」です。「あおぞらセンター」は5年前に裁判の和解金を活用して設立したNPO法人です。今のところ専従は私一人です。
写真:名古屋あおぞらセンターの機関誌「なごや あおぞらだより」

活動の柱は二本です。
一つ目は調査研究事業です。公害患者さんの聞き取り調査を日本福祉大学の牧洋子教授のゼミ生と一緒に行っています。昨年は約60名の方の聞き取り調査を行いました。主体は学生さんで、私が患者さんのセッティングをして、学生さんが2〜3人でお話しを聞いてきてくれます。大体1時間〜1時間半の行程です。牧ゼミナールの学生さんは基本的にケースワーカーの卵で、これからさまざまな患者さんたちのお話を聞いて仕事としていく方たちです。患者さんと直接ふれあえることがためになるそうです。
学生さんが直接患者さんに聞き取り調査を行う目的としては、公害を知らない世代が公害の体験を一つ一つ時間をかけて聞くことにより、今の患者さんの生活に必要なものを導き出す資料になりますし、名古屋南部の活動のための資料にしていくということです。きょう、この会場にもたくさんの牧ゼミナールの学生さんが来ています(拍手)。
※「名古屋あおぞらセンター」ホームページ  
http://www16.ocn.ne.jp/~nac-04/
写真:聞き取り調査は現役の大学生たちに委託していると紹介する中井さん

今年は聞き取り調査も継続しますが、公害裁判を支えた人たちから話しを伺おうと思っています。すでに弁護士、医師、市民活動家のみなさんからお話を聞き終えています。それぞれ大変専門的なお話しを伺っております。たとえば弁護士の先生方からは裁判でどのように勝訴に導いたかとか、医師の方々からは認定疾病の種類とか、どういう特徴があるのかなど、さらに活動家のみなさんからは健康被害補償法関連の話を伺い、公害患者のみなさんのお話とは一味違った学習する視点が学べていると学生さんたちは感想を述べてくれています。公害裁判を支えた人々はどういう経緯で公害に立ち向かっていったのかなどに重点を置いて話していただけるよう先生方にはお願いしています。

で、問題はこれらの貴重なお話をどこに繋げるかということですが、現在、名古屋市内の幼稚園、小・中学校での喘息の被患率が大変高くなっています。したがって、歴史を学ぶことによって、増えている状況をどのように分析するかということについて、専門家の意見を求めながらどういう因果関係があって、どう対処すべきなのかなどの提言をまとめることを考えています。

もう一つの柱は地域再生事業です。
「菜の花エコプロジェクト」についてはさきほど岡田先生が四日市における菜の花栽培の復活についてお話しされましたが、愛知県では多くの団体が「菜の花エコプロジェクト」で活動しています。その方々から原風景の話を伺いますと、名古屋南部でも昔は菜の花の栽培が盛んだったということをよく聞きます。米の裏作で作られていたらしいです。長島町には「菜花の里」という植物園もあります。
なぜ菜の花プロジェクトに参加しようと考えた経緯ですが、患者さんたちがBDF(バイオ・ディーゼル・フュエル)で走るディーゼル車の試乗会に行ったんですね。そうしたら、てんぷら油の匂いがしてきて黒煙も少ない。患者さんたちが車のマフラーに近寄って「天ぷらの匂いがする」と言って、興味を持ったのを見て、メンタル的に与える印象も公害患者さんには違ってくるものだなと実感したんです。
そのほか地産地消がとても重要だと思っており、愛知県の場合、都市部と農山村部はかなり離れていまして、それを結んで製品や商品を運搬するのは相当困難なんです。四日市の場合、その間の距離が短く、実現は可能かと思いますし、周辺で出来た農作物などを中心市街地などで出来た空き店舗などをうまく活用して販売することで、過疎化、高齢化が進む地域に安全で美味しい地元で出来たものを味わってもらえることが出来ると思います。簡単ですが、ここは以上にさせていただきます。

【フロアから 1】  松 光子 (尼崎公害患者家族の会)

尼崎では裁判中から並行してまちの再生に取り組んだ

「尼崎公害患者家族の会」から来ました松と申します。
私どもはNPOでも財団でもなく、任意団体として「南部再生研究室」を立ち上げています。そこで疲弊している尼崎のまちをどう生かすかというまちづくりに取り組んでいます。
私たち患者会としては、患者さんたちの昔からの思いである「尼芋」を復活させるため、裁判中でしたが1996年から取り組んできています。尼崎には運河を活かしたまちづくりをということで、マップもつくりました。きょう、みなさんにお配りしたかったのですが、1万枚つくったのが人気がありましてもう100部くらいしか残っていません(笑い)。
それらがいま、一つずつ復活しはじめています。「尼芋」が復活しました。先日は、冬場国土交通大臣がお見えになりまして、「尼崎にはいい運河がたくさんある。これを活かさない手はない」と言われて、「運河プロジェクト」をつくってくださいました。そして、尼崎にはもはや海はありませんので、せめて川べりだけでもということで、市民の憩いの場をつくってもらいました。こういうふうに、マップをつくった1996年以降、掲げたものが一つずつ出来あがってきています。私たちが取り組んだときは本当に小さなことでしたが、いまになって大きな花になり、喜んでいます。

それと同時に尼崎は震災を受けて工場群がなくなってしまいました。その広大な土地の半分がスポーツセンターや「21世紀の森構想」の場になっていて、残り半分は流通の会社とか、松下グループの煙突のない会社がきています(笑い)。

私たちが国や道路公団などと闘っている自動車公害をなくす運動と、同時に尼崎をいかに活性化し、せめて尼崎の南部だけでも再生していこうと考えて、患者さんと南部再生運動をしている若い人たちとまちづくりを同時進行でやっています。そういう動きがあることをフロアから申し上げました。
写真:「最初は小さなことから始めよう」と体験を語る松さん(手前左側)

【フロアから 2】  森 裕之 (立命館大学政策科学部准教授)

「都市環境再生基金」は厳しい行政の財政も考慮した提言だ

尼崎に関連したことを少し補足させていただきます。
四日市市とは日本の中で有数の行革先進地なんですね。この間、かなり財政規模を縮小してきて、外からでは分からない労働強化や組織の締め付けなどがあると思います。
先日、アスベストの問題で宮本憲一先生と尼崎市へ行ってトップの方からアスベスト問題への取り組みを聞いたところ、あれだけ人類史上最大の社会的災害と言われているのに、組織としての対応はまったくできてないんですね。なぜかというと、行政改革が粛々と進められ、人は削られ、保健所は統合され、おまけにああいう事件が起きると、環境省や厚生労働省からエース級の市役所職員がひっぱられるんです。ますます少ない人員で対応せざるを得ないわけです。もう、ほとんど悲鳴に近い声を聞いてきました。そこで思ったのですが、やはり市役所自体の態勢がきちっととられないと、環境の再生などの問題にはほとんど対応しきれないということを実感してきました。

そこで、今回我々が提案させていただいた「都市環境再生基金」というのは、そういった意味合いをかなり込めたものなんです。単に、基金をつくって公害の再生の財源にするということではなく、行政としてそれを担う態勢づくりの強化、さらに四日市は地区の組織が強く、地区市民センターも23もあって、一定の成果も出てきています。しかし、行政は財源の負担が大きいので減らそうとしています。そういった地域のもっている資源と行政を結びつける象徴的な意味を込めた基金をつくるべきだという提案なんです。

さきほどからも様々な財団の話しがありますが、四日市もつくってみたらどうかという提案でもあるわけです。具体的な財源をどうするかは実際には難しく、たとえば責任ある企業にどう負担させるかというようなことも検討したのですが、実は日本の租税原則自体がそういった問題に対応していないんです。したがって、非常に知恵の要る話ではあるんですが、技術的な問題を乗り越える中で、四日市がそういった環境再生のモデルになるような取り組みをしていただいてもよいのではないかと思います。
写真:知恵を出し合えば四日市が環境再生のモデルになりえると語る森さん

【フロアから 3】  谷 洋一 (水俣病患者互助会事務局長)

水俣にとってもこの『提言』は示唆に富んでいると評価したい

水俣からまいりました水俣病患者互助会事務局の谷と申します。
水俣の場合、公害訴訟一次判決から34年がたっています。今でも17000人の人たちが新たに水俣病の申請もしくは医療手帳の申請をしている状況です。十数年前には水俣の環境再生まちづくりということが水俣病の全面解決を受けて言われたわけですが、残念ながらそれがうまくいったとは言えない状況にあります。それは、水俣病の被害の全体像というものを十分に把握できていなかったことと、一番大事な点は被害者といいますか、当時、水俣病で一番深刻な被害を受けた人たちの声、その人たちの暮らし、その人たちが安心して暮らしていける地域社会をつくろうというよりも、水俣病が終わって、水俣のまちづくり、再生にあまりにも力を入れすぎた点に問題があったのではないかと思います。そういう中で、被害者に目を向けて被害者が安心できるまちづくりについてたくさん提言されていることは大変有意義なものだと言えますし、きょうの『提言』は私たちがこれから水俣で活動してく上でも非常に示唆に富んだものがあると思います。

そこで質問です。被害者の問題で1988年に公害指定地域の解除ということで被害者の認定が行われていませんが、いま、実際に被害者の方は公害あるいは被害がなくなったと理解されているのでしょうかか? それとも被害はまだあるが行政のやり方によって被害がないとされているという認識をおもちなのでしょうか? 教えてください。
もう一つは、公害補償問題は非常に大きな問題のなかで合併症の問題が出ていましたが、公健法では特級、1級、2級、3級と設定されていると思いますが、そういう場合、合併症などがどのように配慮されているのか、分かりましたら教えてください。
写真:水俣から見ても四日市の『提言』は示唆に富んでいると言う谷さん

【講師のコメント 1】 除本理史
第一点目のお話しは、壇上の方たちにお答えいただいたほうがいいと思いますが、地域によって違いがある気がします。固定発生源系の大気汚染がひどくて、逆に人口がどんどん減ってきているような地域と、東京のような巨大都市の場合は排ガス汚染の影響が違いますので、患者さんがどう理解されるのかは地域によってかなり差があるように思います。
二点目ですが、ランク付けは障害補償費にかかわるものでして、今の段階では基本的には考慮されていると言っている自治体は半分くらいで、考慮していないという自治体が半分くらいというのがアンケートで出てきています。これは四日市の医師会の方が全国の認定審査会にとったものです。結局、運用は各自治体に任されているので、そこで運用に幅が出てきてしまっているわけです。これは合併症を考慮する方向で各自治体の方から問題提起して、国もちゃんとガイドラインを作っていくべきだと私たちは考えています。そして、これは患者さんたちや支援者の方々がどれだけこの問題に取り組んでいるかによって左右されていると言っても良いと思います。

【講師のコメント 2】 藤江 徹
被害者の方が被害がまだあると思っているかいないかということですが、大気の基準でいきますと、西淀川で言うとクリアはされていません。また病気が発生するレベルの大気汚染の濃度にあると認識しています。それをなんとかクリアすることが最低条件だと思いますし、未認定の患者さんがまだ非常にたくさんいらっしゃるということもわかっていますが、ただ詳細な人数までは把握できていません。
ただ、私どもで認定患者の数字を出すときは子供さんの医療補助の数値をそれに換えて、どれくらいと言ってますが、大阪でも子供の喘息の率が年々上がっていますし、治りにくくなっているため年齢も上がっています。そういう意味ではまだ公害はあると思いますし、ないから再生をしているわけではないと思います。

それから等級の話と合併症の話ですが、等級がどう変わるかは専門外で言えませんが、福祉の話で言いますと、介護制度を使った認定を受けるときにぜん息の患者さんだからと言って、それがなにか考慮されるかというと、そういうことではなくて、患者さんは昼間見た目はそう見えなくても夜中に発作が起こる患者さんもいらっしゃいますが、審査の時発作が起きてないと認定されにくいと聞いております。

【講師のコメント 3】 中井 誠
(詳しくは画像をクリック)
先ほどの補足にもなりますが、お手元に「青い空と健康」というパンフレットを配りましたが、これは公害病患者さんと家族のみなさんが作成して手配りしているものです。きょう、会場で胸と背中に青いゼッケンをつけている方々ですが、公害裁判が終わって、まちづくりだ。それじゃあNPOを立ち上げて、そこの職員さんに任せればいいのか? それは違うよねということで、原告になったみなさんや原告にならなくても患者会で活動しているみなさんが問題意識をもって、公害はまだ終わっていないんだという視点から地域や隣の人、町内会に配ることによって、定期的に活動していることを印象づけるとともに、1対1の対話の中から理解を深めることを目指してやっておられますので紹介させていただきます。
写真:患者と家族の手作りの「青い空と健康」
【講師のコメント 4】 難波田隆雄
きほど除本先生からもコメントがありましたように、固定発生源と移動発生源で、工場のほうからのものは大分減ってはきていますが、幹線道路が増えたためもありまして、移動発生源によって空気が悪くなっていまして大気汚染の分布が変わってきているのかなと思われます。
ただ、ここ数年、光化学オキシダントの注意報がひんぱんに出ていまして、大気の状況明らかに悪くなっていますので、健康への影響は予断は許しません。我々は現状把握に努めて市のほうに影響調査するように申し入れていますが、市の腰は重いというのが実情です。

【フロアから 4】  豊福祐二 (三重大学人文学部准教授)

中心街地の活性化は高齢者の人たちの生活も考慮を

私が今回、担当しましたのは『提言報告書』の48ページからのところですが、いま全国的に言われているのはコンパクト・シティということで、中心市街地にどれだけ公共的機能や人を集めてきて、どう活性化するのか? 商業の活性化だけでなく、居住機能もそこに集めていくか? という話ですが、今回、中心的市街地を考える際、商業の現状がどうなっているのかということを全体的に調査・分析する際に、四日市市の場合、毎年「買い物調査」というものをやっていまして、データが蓄積されていました。それで、市街地全体を見たときに、そもそもいまの中心市街地に四日市市民は本当に買い物にきているのかがわからなかったので調べたのですが、90年には10%の市民が買い物にきていましたが、2005年になると劇的に減っていることが分りました。とりわけ中心部の中小小売店のところはほとんどないという状態です。その動きは、近鉄四日市付近でも同様でした。
そこで思ったのは、確かに中心市街地を活性化しなければいけないのですが、中心市街地でも国道一号のJR駅側は地元の人たち、しかも高齢化している人たちの食料品とか日常の買い物をする機能すら交替しているわけで、そういうところをきちんと充実させなければいけない、という話と、近鉄周辺はまだ
他地域から買い物客がきているので、この2つのエリアを区別して考えなければいけないのではないか、ということでした。
言い換えれば、中心市街地の活性化も大事ですが、高齢化は明らかに進むわけですから、そういう人たちが歩いていける、そういう人たちが安心して暮らせるまちづくりもこの際忘れてはいけない視点だと認識したことを付け加えておきたいと思います。
写真:コンパクト・シティ構想は高齢者への配慮も必要と指摘する豊福さん

【事務局から 】 寺西俊一 (プラン検討委全体事務局長/日本環境会議事務局長)

実行には若くやる気のある担い手の確保が必要不可欠!

この3年間を振り返りつつ、私なりのコメントを出させていただきます。
この四日市の環境再生まちづくりプラン検討委員会を3年前の7月の24日の判決の日に合わせてスタートさせ、以来、3年間、調査研究活動と合わせて公開での市民講座・まちづくり講座を積み上げてきました。判決日の前後の節目ではきょうのようなアクセントをつけたシンポジウムを開いてきました。日本環境会議の関係者はこの四日市のプロジェクトに相当のエネルギーを注いでくれましたし、それなりに取り組んできたという自負はあります。
写真:『提言』実行にはどうしても若い人たちに参加してほしいとハッパをかける寺西さん

実は日本環境会議は60年代に顕在化した、この四日市をはじめ水俣病やイタイイタイ病などの激しい公害に取り組んだ宮本先生を含む7人くらいの医学、法学、経済学、工学など先駆的な研究者が中心になり、、1979年に「日本環境会議」という組織を立ち上げ、重要な環境政策や公害問題への提言を中心にして取り組んできた経緯がありますが、時代が21世紀に切り換わる1999年から2000年のとき、川崎でちょうど発足20年の記念大会を迎えました。このときに、20年取り組んできた全国の公害や環境破壊との闘を踏まえ、21世紀に向けて何をすべきか、中長期の戦略的な課題を議論しようということで、少し大きな議論をしました。その時に、日本は20世紀、アジアの中で大きな経済成長を遂げたわけですが、他方で深刻な公害被害者を生み、深刻な全国的環境破壊をもたらしたという反省に立つと、次の21世紀にはその公害被害を全面的に救済し、それを踏まえて公害のない、より豊かな環境を再生していくことを目指す意味で、20回大会の宣言文は“環境破壊の世紀から環境再生の世紀へ”というスローガンを掲げました。

では、環境再生とはなにに取り組むことかということで、スローガンを具体化するために「環境再生のための政策研究会」を5年続けました。その成果が、きょうの宮本先生の基調講演の参考文献の一つに挙げられている『地域再生の環境学』という形でまとまりました。その中で、川崎から環境再生の課題を我々は受け止めて、全体的な21世紀の共通課題として全国に提唱するということでやってきたのですが、これを、より各論的に各地域でどう具体化するか、そういうときに、四日市から四日市公害判決35年という節目を受けて、四日市で環境再生の方向で取り組みたいということから「まちづくり市民会議」が発足するという経緯になっているわけです。

その中で、環境再生の今後のあり方とかビジョンとかが日本環境会議のここ10年くらいの取り組みの中でかなり明らかになってきました。それを政策提言という形で四日市に即して、若いメンバーも含めて具体化してもらいましたが、この政策提言は、四日市の課題を相当程度的確に指し示していると思います。

しかしながら、この3年、四日市に通った中で一貫して四日市の環境再生まちづくりにおける大きな課題は、これを受け止め、担っていく主体がまだまだないというか、少ないと言わざるを得ません。ここに集まってくださった顔ぶれを見ても外からきて、なんとか四日市の再生のために応援しようという人たちが目立ち、ここ四日市に住んでいる人たちで、この議論を受け止めてなんとかしようという人たちは少ないと残念ながらそう申し上げざるを得ません。きょう、パネル討論においでいただいた若手の講師のような人たちがこの四日市にもぜひ欲しいですね。自分たちの四日市を少しでもいいまちにしようという若い担い手が出てこなければ、いくらよい議論をしても未来に繋がらないという思いがどうしても私の中には残ってしまいます。

残り時間が少ないですが、たとえばご存知、澤井余志郎さんのような人が一人でも二人でも出現することを含めて、きょう出された四日市環境再生まちづくりの担い手づくりをどうするのかを議論して、なんらかの展望を示していきたいと思います。

【フロアから 5】  榊枝正史 (日本福祉大学学生)

生まれ育った四日市を再生させたいが自分一人でなにが出来るか不安

日本福祉大学4年の学生です。公害問題の解決に少しでも役立ちたいという思いから、2年ほど前から研究を続けています。生まれも育ちも四日市です。
ぼくはいまアスベスト問題を研究していますが、それを含めて続けて生きたいと思っていますが、正直なところ自分一人で何が出来るかという不安があります。自分としては、地元四日市に留まり、四日市の環境再生のために役に立ちたいと考えています。寺西先生からアドバイスをいただければと思います。
写真:やる気はあるが不安だと率直に語る榊枝さん(中央)

【全体事務局から 】 寺西俊一 (プラン検討委全体事務局長/日本環境会議事務局長)

当面は労働組合のサポートで若手スタッフの確保をすべき

きょう、3地域から来ていただいたのは30歳代前半の人たちですね。そして、いま発言された方は20代前半と思いますが、こういう20代、30代の人たちと連携することが一つと、さらには。全国各地の取り組みの相互の連携がやや欠けているように感じますので、例えば「環境再生まちづくり全国ネット」というようなネットワークを組んでもらって、そういう人たちの輪に加わって相互に励まし合いながら、「こんな四日市にしたい」というところから再生マップづくりなどを進めていったりしたらいかがでしょう。

それと、いい機会なので中浜さんに一言(笑い)。労働組合は組織力があるのですから、こういう若い人を、きょうも再三出ている「四日市まちづくりくり市民会議」の有給スタッフとして迎えてほしいですね。行政の重い腰が上がるまでは自立資金で頑張らざるを得ませんので、そういう人件費をサポートし、彼のような若い力を活用して、その活動を支えて欲しいですね。

【地元から 】 中浜隆司 (プラン検討委現地事務局長/四日市市職員労働組合連合会書記長)

JECの協力に感謝  実行に向かって市民会議への参加を!

プラン検討委員会の現地事務局として一言お礼とごあいさつとお願いを申し上げます。
発言の前に寺西先生から相当なプレッシャーが来ましたので、少し動揺していますが(笑い)、きょう資料を整理していましたら、ちょうど5年前のきのう、四日市公害30周年記念に語り合う集いがありまして、私もそれに参加していました。そこのレセプションの席上だったと記憶していますが、寺西先生から四日市と千葉のコンビナートは頑張っているほうだけど、いずれ老朽化するし、化石燃料の関係やプラントの海外移転などから将来的には縮小していくであろう。四日市はそのことを睨んで、公害を経験したまちとして「環境再生」をキーワードにして取り組んでいく必要があるというようなことを言われました。
それをお聞きして、職員組合は公害裁判を支援してきたという歴史、市民のみなさんに責任を持って行政を担っている職員労組として、そういうまちづくり案の必要性があればぜひ取り組もうということで、翌年の運動方針に組み入れたわけですが、そうは言っても誰が、どうやるのかということが分らないわけで、澤井余志郎さんと確か04年の2月の寒い日でしたが、一橋大学に寺西先生をお訪ねして、日本環境会議としてご協力をいただきたいというお願いをしました。
それ以後、15回にわたりシンポジウムを開催したり、日本環境会議の先生方は手弁当で調査や『提言』のまとめなど献身的にご協力いただき、かつ、その内容も第一級の『提言』ではないかと喜んでいます。改めて、心から感謝申し上げます。

全市民にきょうの集いを知らせるチラシを7万枚つくって徹底するようにしました。その際も、宮本先生に急遽、チラシ用のコメントをお願いし、2時間後にはいただいたり、かなり乱暴なやりかたについても快く対応してくださり、感謝に耐えません。

そして、問題は、これで終わりでなく、この『提言』を勉強しながら、いかに実行に移すかです。ぜひ、この「四日市まちづくり市民会議」にメンバーとして参加していただきたいと思います。四日市は裁判のあと、残念ながら水島や西淀川や名古屋のように財団が今日に至るまで誕生していません。だからと言って、まちづくりをしないでいいということではありません。一から歩き出したいと思っています。
写真:『提言』実行、一から歩き出したいと市民会議への参加を呼びかける中浜さん

【地元から 】 澤井余志郎 (四日市再生「公害市民塾」)

『提言』実行はかなりの重荷だが若い人と携えて前進したい

『提言』を拝見し、きょうみなさんからいろいろお話しいただき、「これから大変だな」というのが今の正直な思いです。しかし、これまで3年間、先生方に手弁当でやっていただいたのは宮本先生が言われていましたが、ここ四日市だけだろうと思います。そして、私も四日市市民をやめるわけにはいきません。
四日市はコンビナートであることと切り離せません。市民は四日市の海とはコンクリートで遮られています。場所によっては、立ち入り禁止などという札が立てられていて、なかなか水辺に行けないということがあります。それだけに、なんとか四日市の市民が海辺に行けるような親水空間が出来ればもっともっとコンビナートと四日市の市民が同化できるのではないかと思いました。

それと、もう一つ感じたことは除本先生のご報告にあったように、5月末時点で499名の認定患者がいるんですが、全員が苦しんでいるわけではないものの、四日市にはれっきとした患者がいるわけです。公害被害地であり、克服したなどとは言えません。

そして、これからのことですが、市民会議はまだまったく形になっていません。先日、水島にお邪魔し、いろいろ拝見しましたが、四日市にはいぜん拠点病院がなく、そういうことも含めて、今回の『提言』を受けて、これからどう進めていくか重荷ではあります。しかし、そういう中で地元の知的集団である四日市大学の北島先生に代表をお願いし、市民会議が立ち上げられたので、若い人たちにも加わっていただき、なんとか今の重さを少しでも軽くしていきたいと考えています。
写真:実感として肩の荷が重いが若い人たちとやっていきたいと“決意表明”する澤井さん



≪「四日市環境再生まちづくり提言の集い」アピール≫

フロアからの意見や質問が予定時間を越えて行われたあと、「集い」はクライマックスへ。事務局によって練られた≪「提言の集い」アピール≫が四日市市立保育園保育士の人見悦子さんによって高らかに読み上げられると、会場全員から心のこもった拍手が沸き起こり、アピールを採決しました。

このアピールは、7月中に四日市市商工会議所へ、8月1日に三重県知事と四日市市長へ遠藤宏一さんらが提出しました。受け取った行政側がどう評価し、実行に向けて動くか、これからウォッチし続けることが大事です。
写真:歯切れよく「アピール」を読み上げる人見さん
「四日市環境再生まちづくり提言の集い」アピール
 1972 年7 月24 日、津地方裁判所四日市支部において、「四日市公害訴訟」の判決が下された。深刻な大気汚染は被告6 社の共同責任と断定し、原告・患者側の全面勝利となった。経済優先の開発計画に落ち度があったとして、地域開発政策の見直しを求める画期的な判決であった。
 判決から35 年の歳月が流れたが、大気汚染に象徴される公害は克服され、四日市は住みよい都市になったのであろうか。四日市市は7 月3 日、「公害のまち」のイメージから抜け出そうと、コンビナートの夜景と乱舞するホタルをデザインしたポスターや名刺を作製した。市の「イメージチェンジ大作戦」には公害患者などから批判の声があがっている。公害は過去のものなのか。ぜんそく患者は今も苦しみ、被告企業・石原産業によるフェロシルト不法投棄、最大規模の大矢知産業廃棄物不法投棄事件が起きた。
 私たちは公害判決35 周年を記念して、四日市で「環境再生まちづくり提言の集い」を開催した。四日市は環境やまちづくりなど多くの課題を抱えており、まちづくりプラン検討委員会が3 年間にわたり調査研究し、緊急の課題を解くための分析をしたうえで、これからの四日市再生の提言をまとめた。集いでは提言を発表し、環境再生・都市再生に向けた課題と方向を話し合った。
 提言は四日市を維持可能な社会にするために、@安全・安心の都市へ、A水の都再生、B内発的発展の産業政策へ、C住民参加の自治体へ、という4 つの政策理念をあげる。
 そして環境再生・都市再生に向けて、次の6つの課題を提起する。
 1.「公害のまち」から医療・保健・福祉の先進都市へ
 2.健康で安全なまちづくり―環境保全と防災
 3.地域内経済循環を創り出す―県・市の地域産業・経済政策の方向転換
 4.「都市」と「農村」の共生するまちづくり―四日市モデルの構築
 5.行政は独自にコンビナート・臨海部の総合政策を持つ
 6.「都市・環境再生基金」の構想
 こうした四日市再生を進めるうえで、提言は都市自治の確立とコミュニティの再生が欠かせないとする。そして、今回の集いを前に結成された「四日市まちづくり市民会議」の活動に期待し、環境学習と環境教育、真の「四日市学」の提唱を呼びかけている。
 公害判決35 周年を記念して開催された提言の集いを契機に、四日市が「公害のまち」から医療・保健・福祉の先進都市に転換し、「維持可能な社会」の四日市モデルが構築されることを願ってやまない。
2007 年7 月21 日  四日市環境再生まちづくり提言の集い

【まとめ/閉会あいさつ】  淡路剛久 (日本環境会議理事長/早稲田大学教授)

「ひと」「仕組み」「見た目」で少しずつ前進することが肝要

主催者の一つとして名前を連ねさせていただきましたので、日本環境会議を代表して、まとめと閉会のごあいさつをさせていただきます。
朝からいろいろ伺っていて、最後に、寺西さんがしっかりまとめてくれて、私の思いとまったく同じですので、重複は避けますが、寺西さんが指摘されたことは私もまったく同感です。
写真:厳しいが希望がないわけではないとエールを送る淡路さん

宮本先生の基調講演で、実は四日市の公害問題にはあらゆる課題が含まれていたと言われました。そして、35年たって日本の公害問題というのは拡大し、廃棄物問題が深刻になり、さらに地球環境問題、温暖化問題へと広がってきています。その中で、四日市が公害問題を克服し、次に廃棄物問題も克服し、いま大企業を抱えながら温暖化問題と一生懸命闘っている、ということであれば万々歳だったのですが、きょうの指摘のように新たな公害問題が出てきているということとか、廃棄物の問題を循環対策で処理していくことも出来ていない。むしろ、日本最大の廃棄物問題が起きてしまっている。この30数年の歴史とはなんだったんだろうと残念に思わざるを得ません。しかし、希望がないわけではありません。

きょうの集会では、従来型の公害は多少解決はしてきているだろう。しかし、公害はただ環境への負荷を減らすだけではいけないんだ。必ずそこにはストックとしての汚染が残るし、ストックとしての環境破壊が残る。それを改善しなければ環境問題は解決しない。そのストックとして破壊された環境を解決するときに環境再生を合わせてやる。視点をそういうふうに拡げるんだと。その時にさらに産業政策だとかまちづくりとか、いままでやれなかったこと、あるいは破壊されたことを回復しながらやるという視点で四日市も新たな希望を持って、あらたな視点で取り組むということで、この3年間、勉強してきたんだと思うんです。

きょう大変よかったことの一つは、地元の四日市大学をはじめ、各地の大学から若い人たちが参加してくれ、そういう人が四日市の公害問題というものを出発点として、大きな視点で環境問題を捉えたということです。ここに私は希望があるんだろうと思うわけです。

そして、大事なことを三つだけ申し上げます。
一つは「ひと」です。例えば宮本先生であったり、宇井純さんであったり、寺西さんであったり、さっき発言された学生さんであったり、「ひと」なんです。亡くなられた田尻宗昭さんが言われていましたが、一人の人が全身全霊で本当に頑張ったら、実は社会を動かせると。寺西さんがいい例です。日本環境会議が水俣で会議をしたときに、学生であった寺西さんは自ら来て、日本環境会議に近づき、田尻さんの厳しい試験を受け、いままさに日本環境会議の中心になっています。

二つ目は、「仕組みのきっかけ」です。物事いっぺんになにもかも出来ません。思い出すのはイタイイタイ病訴訟のときです。あの判決のあとに、住民が企業の中に入って、自分たちの目で見て、ちゃんとした対策をとっているかどうかやれるようにしたわけです。これで企業はもう住民の被害者の目があるので
逃げられないわけです。要するに、どこにこのような仕掛けをつくっておくか。たとえばフェロシルト事件で企業の中に監視の態勢をつくり、それをきっかけにして先へ進んでいくということを考える必要があるのではないでしょうか。

そして三つ目は、松さんが尼崎の経験を話されましたが、目で見て成果をみなが共有できるもとして残していく、一緒につくっていくことでみんなの理解を得られるということになると思うんです。たとえば韓国のソウルでは、高速道路を壊して、もとの河川を復元し、そこに清流を取り戻すという事業が進められましたが、それは目で見られるわけですよね。四日市も親水性をどうもたせるか? 空地が出来て種地が出来ているところを開放させて、市民が海に出られる経験をすることが成果であり、喜びであり、アメニティであると思うんです。こういうものを一つつくれば市民に対しても運動が広がるということにつながるわけです。『提言』で触れたすべてのことをいきなりやろうとしてもそれは無理です。しかし、一歩踏み出せば弾みがつくはずです。

最後に付け加えれば、「四日市学」というのは入門学であり、質問学だと思います。入門学ということで言えば、きょうの『提言』もその入り口として、今後、もっともっと市民的な視点で深く掘り下げていく必要があります。四日市のみなさんの大いなるご奮闘をお祈りします。

(おわり)
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