2006 04/12 更新分

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▼「都留重人さんを偲ぶ会」▼
◆各界から500人が出席 盛大になごやかに◆
各界から約500人の人たちが
故人の遺徳を偲んだ

戦前・戦中・戦後を通じ、絶えず鋭い批判的な問題提起をし、公害研究委員会の発足者であり日本環境会議(JEC)の初代代表でもあった都留重人さん(2006年2月5日逝去)を偲ぶ会が2006年3月6日正午から、東京・千代田区の如水会館で行われました。JECからは宮本憲一代表理事をはじめ、淡路剛久理事長、原田正澄代表理事、永井進・礒野弥生両副理事長、寺西俊一事務局長ら19名が出席、ご冥福を祈りました。この日、都留さんの遺徳を偲んで教育界はもとより政界、財界など幅広い分野から約500人が出席しました。

主催者あいさつをした伊東光晴さん

偲ぶ会は初めに黙祷が行われ、続いて都留門下生の一人である伊東光晴さん(京都大学・福井大学名誉教授)が「本来なら3月4日に94歳の誕生祝いをするはずだった」と主催者あいさつ、杉山武彦一橋大学長と高山憲之一橋大学経済研究所長があいさつを、篠原三代平さん、小宮隆太郎さんが思い出を語り、現在の一橋大学のキャンパスや大学通り公園の設計図を自腹を切られて設計したこと、常に人事のバランスに腐心されたことなどの事例や、常に関心やものを見る視角が常人と異なったことなどをこもごも話されました。


あいさつをした杉山武彦さん(壇上)と高山憲之さん 思い出を語った篠原三代平さんと小宮隆太郎さん(壇上)

そして、遺族を代表して和田昭允さん(東大名誉教授)から偲ぶ会への出席の謝意と故人の晩年について「昨年1月に前立腺がんを発病し、加療の結果、数値は通常の人の何倍も上下動したが、12月にいたり出血、尿毒症を併発、それでも岩波の校正が終わるまで入院はしないと言い張り、1月10日に終わり、12日に入院。ベッドでは字を書く試みを繰り返したが2−3分しか続きませんでした。2月5日午前1時42分、燃え尽きました」と最期の様子を説明され、あわせて正子夫人の様態について「入院中ですが、元気です」と出席者の関心事に答えられました。
 
眠るように燃え尽きたと最期を語った和田昭允さん=左
速水優さんの音頭で献杯=右

休憩を経て、速水優さん(前日本銀行総裁)の音頭で献杯の後、公害研究委員会を代表して宮本憲一さん(元滋賀大学長)と「さつき会」を代表して宮崎勇さん(元経済企画庁長官)が「都留先生を偲んで」それぞれ思い出や傑作なエピソードを披露、そして都留・背広ゼミ、学部・大学院都留ゼミ代表、一橋陸上競技倶楽部代表のあいさつが続き、最後に出席した陸上倶楽部全員が大学校歌を斉唱し、午後3時過ぎすべての予定を終了しました。
 
ユーモアを交えた宮本さんのは話は逸品だった(右端壇上)=左
昭和35年〜50年の陸上部OBの半数が出席、別れを惜しみ
校歌を斉唱した=右
※写真はいずれも2006年3月6日、東京・千代田区の如水会館で

*お知らせ*

宮本憲一先生の追悼文「都留先生を偲んで」は4月25日発行予定の『環境と公害』に掲載されます。

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JEC 日本環境会議