公害薬害職業病補償研究会 主催
JEC 後援
公害薬害職業病 被害者補償・救済の改善を求めて
第3回シンポジウム
「戦後70年 被害者補償・救済の現在」

 公害薬害職業病補償研究会では2007年の発足以来、戦後日本の公害・薬害・職 業病などにおいて、それぞれ別建てで構築された補償救済制度・協定などについ て、改善をめざすためあらゆる観点から横断的比較研究を行ってきました。
 第3回に登場するイタイイタイ病、新潟水俣病、スモンは、いずれも戦後の公害・薬害を象徴する大事件です。3事件における制度比較から見える教訓と課題 を考えます。
 政策担当者や研究者はもちろん、公害や薬害の健康被害に関心をもつ多くの市民の皆様のご参加をお待ちしています。


>>開催記録はこちら(2016年1月29日)

開 催 案 内
開催案内PDF版
日時 11月29日(日) 13:30〜16:45 (13時開場)
会場 明治大学 駿河台キャンパス・リバティタワー
(JR御茶ノ水駅り徒歩3分,地下鉄神保町駅より徒歩5分)
主催 公害薬害職業病補償研究会
後援 日本環境会議(JEC)
資料代 1000円 
第3回シンポジウムで扱うテーマ
◎イタイイタイ病
 岐阜県の三井金属鉱業・神岡鉱山からのカドミウムを含む未処理廃水が神通川に流され、下流・富山県の水田地帯を汚染。水や農産物を通じてカドミウムを 摂取した人々の骨や腎臓などに著しい健康被害が発生した。1968年患者・遺族28人が三井金属鉱業を提訴、1971年の一審判決、1972年の控訴審判決でいずれも原 告が勝訴、三井金属は上告を断念し判決が確定した。その後、国の基準では公害病と認められていないカドミウム腎症の被害者について争いが続いていたが、 2013年に三井金属が一時金を支払い謝罪を行う形で和解が成立した。

◎新潟水俣病
 昭和電工が阿賀野川で引き起こした第二の水俣病。当時、阿賀野川には漁師が2400名ほどおり、川魚を多食した地域住民に被害が広がった。1965年に水俣病 と確認され、阿賀野川下流域の認定患者が四大公害裁判の先陣を切って1967年提訴、1971年判決で昭和電工の責任が確定、1973年補償協定締結。その後、国の認 定基準をめぐる裁判で水俣病と認めない決着が二度図られ、医療手帳、被害者手帳の制度が作られた。公式確認から50年、いまも水俣病と認めさせるための裁判 が続いている。

◎スモン
 整腸剤として市販・投与されたキノホルムによって神経障害などの健康被害が引き起こされた大規模な薬害事件。1960年代、1万人以上の被害者が発生したとされる。 1971年以降、田辺製薬などの製薬企業と国に対する訴訟が全国で起こされ、1979年までに大多数の患者と被告の間に和解が成立した。司法が患者判定も担う「スモン方式」は立法によらぬ被害救済の一つのモデルとしてその後の薬 害事件でも引き継がれた。
プログラム
◎基調講演
「公害薬害等被害者への補償はどうあるべきか」 淡路 剛久(立教大学名誉教授)

◎各報告とパネルディスカッション
・イタイイタイ病  水谷敏彦(イタイイタイ病訴訟弁護団)
・新潟水俣病   萩野直路(新潟水俣病第三次訴訟事務局)
・スモン       片平洌彦(臨床・社会薬学研究所所長)

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